蓋をしてきた地の底から
2010-02-13


ストレス、って言葉。

医者って治しにくい病とか、フォローしきれない症状に対して
「こんだけ薬使って治らないならストレスのせいですね〜」って
言って終了するパターンが多いし
コミュニケーションにおいても、どーにもならないから仕方ない事
として扱われているような、何か免罪符のように
使われてる言葉だと思うんですけど。
そうして人は、ストレスというものにとにかく蓋をして
生活していることがとても多いわけで。
蓋をするだけでは溢れてくるのが解ってるんで
時々ガス抜きと称して、別の欲望にそれをすり替えて昇華しようとしたり
(やけ食い、やけ買いとかそうだよね)
癒しと称されるサービスを受けたり、遠いところへ行ったりする。
でも、それだけはどうしても、その場しのぎの対処にしか
ならないから解決に至らない。ストレスが爆発するのを
ちょっと先延ばしにするだけだ。
その間に原因から逃げ出すか、あるいは殺す気で攻撃するかして
人はストレスをやり過ごしていく。

やがてそれすら適わなくなって、自分が危機的な状況に陥ったとき
人はやっと、ストレスって何だろう?って考えに行き着くことがある。
その時、ようやく、自分の事を自分で知るチャンスが来るんだと思う。
案外、自分の事を知ろうとしている人は多いようで多くない。
カウンセラーに貴方の心は〜〜タイプですと診断されたとか
就職に有利だから、とか言われて心理テストを受けたとか
自分探しが目的であちこち転々とする人は多いみたいだけど
そういうのだけで「知りました!」となるほど、人の中身は浅くない。
それで知れるんだったら、人はストレスなんてためない。

本気で知りたい人は、自分で自分にもっと深いところまでツッコむ。
そうまでしないと、また同じことで苦しむのを知っているから。
知るためには、今までしてきた蓋を開けて、中に飛び込むことが必要。
嫌で蓋してきたものなので、正直、飛び込むのには勇気がいる。
最初の関門は、多分この場所だと思う。
切羽詰って勇気を出す暇も無く飛び込む人もいるし
同じ辛苦が繰り返される未来と、今出す勇気を天秤にかけて
長い間揺らいでいる人もいる。

こういう分かれ道の連続で、成長する(したい)人、
成長しない(したくない)人が分かれていく。
成長をしない人は、満たされない気持ちが続く。
いつも、できない、もらえない…と苦しんでいる。
成長する人は、成長に応じて、私は満たされている。という
感覚が強くなっていく。
ただ、これはそういう風に分かれていくというだけで
どちらが優劣いう区分は無い。
(そもそも優劣とかゆー区分が成長を妨げます…)

ふと今、ここまで書いてなぜか「幸福」という言葉が浮かんだので
あ?幸福ってなんだっけ?と、とりあえず辞書引いてみた。
【幸福】
[名・形動]満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。
      また、そのさま。しあわせ。

妙に合点がいってしまった…(笑)
自分の成長としあわせは、セットで出来ているね。

嫌なものを溜め込んできた蓋を開けて
自分で作ってきた自業自得の地獄にうえ〜ってなりながら
一つ一つ底に向かって掘り進めて
(進め方が手取り足取りなのか、ショック療法なのかは
 多分めぐり合わせとかも関係してるだろうから知らない。笑)
ストレスの原因をつきとめて解決していったなら
いつの間にか天国にいました…って事なんだと思う。
だってストレス根本解決=そもそも苦しむ原因が無い。てコトだもの。

そういうわけで、根本解決に向けて、蓋を開け続ける日々を
懲りもせず繰り返しております。
誰に頼まれるでもなく、自分で望むがゆえに。
[箱庭]

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