トレースの手
2012-06-11


どうも今年の春ごろから、精神状態が急降下する事がちょくちょくあり…
このままじゃダメだ、今の私はダメだ、という強い焦り。
その背後に必ずあるキーワードが「母親」なのは解っていたんだけど核心に辿り着けず
ずっと同じ手に絡め取られるような苦い状況が続いておりました。
た、っていうか、今もなんだけど(苦笑)

日常の背後で常に感じる「生きてる苦しさ」みたいなモノの根っこは父親にあるのだろうと思っていたのだけど、どうも根っこは父親だけじゃなかった。というのが最近の発見。
幼少時から私にとっての父親は、弾丸飛び交う地雷原。普通に立っててもビシビシ弾が当たって痛いのだが、読みを間違うとさらに大爆発という恐怖の存在で、自分を振り返った上で見つけられるトラウマとしては解りやすかったんだけど、その分他の要因が見つけづらかったようで。

自己イメージは、子供の頃の家庭が大きく影響するという。そして、大人になると無意識にそうなるべく、トレースしようとしてしまう。子は親に似る、虐待を受けた子がわが子に同じ事をするのもこの辺が絡むのだとか。

私の自己イメージの低さは、家庭環境によるものだ(と前に通ってた医者に言われた)
こわいお父さん、かわいそうなお母さん、出来損ないの私。かわいがられる妹。
このお母さんの「かわいそう」は、お父さんがこわいからではなく、私がいるからかわいそうなのだ。
母親はおそらく、一家の中で最も立場が弱かった。
何でもできて当たり前とされ、文句1つ言わず出来損ないの私や家族の世話をする。
お母さんは毎日疲れていた。家族の中で1番疲れているのに、1番休めない人だった。
優しい笑顔の下に怒りを溜め込んでいるのを知っていた。時々癇癪を起こして私を怒鳴り飛ばしていたし、毎日毎日苦労ばかり…とこぼす愚痴に含まれる苛立ちは私に向けられているんだと思っていた。

私の「生きてる苦しさ」を噛み砕いて説明すると、根本的な自己肯定と、幸福肯定(自分は生きてていい、幸せになっていい)の欠如であって、少し具体的にいうと、それは「お父さんの思い通りにならなければいけない、なのになれない」という罪悪感。だったのだけど、もういっこあったのだ。「お母さんのようにならないといけない、お母さんと同じ苦しみを味わうべきだ」という強迫観念。

3ヶ月くらい悶々としてたんだけど、ようやく根っこが見えてきた感じ。
溜めて放るだけでは腐るばかり。ゆるゆると、ラクになるべく、ほじくり返していきますよ。
[にっき]
[箱庭]

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